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日々雑感

幸せは日々の、雫のような時のなかにある。
毎月、つれづれなるままに・・・
赤い杖
 

 日々雑感 「赤い杖」       渡辺範子     

  「♪ママ ドウー ユー リメンバー」

曲が流れ「ぼくのあの麦藁帽子どこへいったんでしょうね」

という台詞が続く。

これだけでああ、あったあったと分かる人は

45歳以上でしょうか?[人間の証明」という映画のコマーシャルで一気に日本中に流行、めったに行かない映画を夫と二人で見に行きました。森村誠一原作の推理小説の映画化で、キーは麦藁帽子ですが、今日はそのことではありません。


 「タララー♪私の13キロはどこへいったんでしょうね」

そう、なんとわたくし、13キロも体重が減ってお陰でまったく経験したことのない身体の変化をハアハア味わっております。

この13キロの行き場所を推理しました。お笑いください。

 寝返り3回10グラム、ベッドから起き上がり10回50グラム

立ち上がり10回50グラム徒歩お手洗いまで50歩50グラム

食卓まで90歩90グラム食事5回これは一番の労力で少しづつよくかんでいただきますが、実感として12キロ、必ずダウン休憩の時間が必要です。体中の血液が消化に集中するとまず息切れが起こり一時間ほどすると今度は寒気、ドクター曰く「当然のことそれだけ食べるにはエネルギーがいるんですよ」2時間から3時間横になり休憩です。そう箱根駅伝の選手のように倒れこんでバスタオル巻いてもらう、あれだなあと納得してます。ここまでですでに12キロ250グラム。なんでもなく動いていた頃にはまったく考えたことのない体重力(私の造語)です。

 そんな私に赤い杖が届きました。

娘たち一家が出かけたアウトドアショップで選んだと持ってきてくれました。かっこいいのです。

カチャンカチャンとボタンを押して、長さを調節します。

ボタンを押して長さを調節してもらい、さっそく家の中どこへ行くにも右手についてコツンコツンと歩いています。

 なかなか赤い杖おしゃれで、ちょっとミス・マープル(アガサクリスティの小説に登場する好奇心に想像力満々のお婆さん探偵)

を気取っております。

 さてわたくしこと赤い杖のミス・マープルの推理、

映画ではキーとなったストロー ハット麦藁帽にあたるのは

体重力と考えます。この推理は観察に基づいたず実感で

間違いなし、そう事件解決のときのミス・マープルのように

胸をはり微笑みを浮かべております。

さて謎を解明しましょう。

12キロ200グラム分の体力を残りの体重からひねり出すと

残るは15キロこの15キロは着替えたり入浴したりお喋りに必要ですから ほとんど木の葉一枚ぐらいが自由になる体重力になります。 今、秋場所を賑わしているあの逸ノ城、なんと体重199キロ土俵に大きな山が生えたようで次々先輩力士をなぎ倒しました。まさに体重力ではありませんか。

 ところで私の残った木の葉一枚分、この一枚なかなか働くのです。ベッドで横になって目をつぶると イメージが頭の中にひろがります。今日は庭の虫の音色にピアノ曲「秋の月」が重なってまさに合奏している場面になりました。目をつぶって「あの引き出しをあそこにおいて、テーブルのうえにあのテーブルカバー、台所の水屋に・・・」などとイメージ、残念ながら魔法はきいておりませんで元のままの部屋模様ではありますが。

 さて、 赤い杖のミス・マープル気取って一言、

「かのアインシュタインがイメージすることがとても大切と申しておりましてよ ホホホホ」



| - | 16:02 | comments(0) | - | pookmark |
音の語らいファイナルのこと
 

 日々雑感 「音の語らいファイナルのこと」渡辺範子     

 堀米ゆず子さんからメールが届いた。

「スチュワート君のヴァイオリンの音を送ります」とある。

今夏、ゆず子さんのケンヴリッジでのヴアイオリン夏季講習には各地から多くの若者が集まった。彼女の音楽に対する豊かさに魅せられた若者たちだ。その中に自閉症のスチュワート君18才がいた。音色で語り合ったゆず子先生と生徒、その場面が浮かんでくる。最終日のコンサート、舞台ではリストのスケルツオと

アメイジンググレイスが演奏された。ゆずこさんはピアノ伴奏をしている。なんて素晴らしい。どうしても彼女の伴奏で弾きたいとスチュワート君が訴えたそうだ。アメイジンググレイス、音色が流れた瞬間私は涙が止まらなかった。

ゆず子先生の伴奏に安心しきったスチュワート君、そして包むようなピアノ伴奏、特別のアメイジンググレイスだった。

私の病んだ体に染み渡ってくる優しさ力強さ、ゆず子さんが是非聴かせたいと思ってくださったことが深く届いた。うれしかった。

範子先生、お父ちゃん

素晴らしいでしょ?彼の音・・ほとんど会話はできないのだけど音で会話します。レッスンでも返事はないけど音で返ってきます。ご両親、また先生方よくここまで育てたと思います。レッスンで弾いてあげた伴奏がとても気に入ってどうしてもコンサートで弾いてくれと彼が私に言一度は他のプロの伴奏者がいらっしゃるので遠慮しましたがレッスンで弾いてみて「やっぱりやろう」と思った次第です。言葉になる前の意思疎通・・観心寺保育園にも通ずる「はぐくむ」心、力に感謝です。日々を大切に生きてゆく…大事なことですよね。では10月に。ゆず子

これが彼女からのメールーです。お父ちゃんと言うのは夫の愛称、ゆず子さんは夫をお父ちゃんと呼びます。

 

思い立ったら吉日!」とあんまりあれこれ考えず、楽しいことばかり予感して動き出す妻と、その夢の実現に大人の知恵を搾り出す夫、振り回されながら面白がって加担する子ども、当初こんな風にして軽やかに始まり続いてきたクラシックコンサート「音の語らい」だった。「音の語らい」の命名者は夫、音楽を通して心の交流をという願いがこもっていた。

息子剛の大好きなゆず子さんが音の語らいで演奏してくださるようになったのは亡き息子の天からの采配だったと思う。

28年目のこの秋、10月17日、室内楽をまた楽しめる。幸せだ。

「ゆず子さんの音の語らいを開催したい」「この日までは元気でいたい」と目的になった。ガン手術後3年2ヶ月体力は日増しに落ちてきたが嬉しいこと楽しいことそして多くの友人知人に助けられ、日々大切に過ごしている。感謝のおもいでいっぱいだ。


音の語らいはそろそろファイナルにしようと思う。

ゆず子さんのメールにまた励まされた。

観心寺保育園に通ずる「育む心、力」を彼女と共鳴し感じたことが何よりの応援歌だ。

1986年秋、参加者42名、夜の帳がおりた山の麓にほんのり浮かぶ光のなかに美しい音色が流れた。あの第一回「音の語らい」以降、数多くの素晴らしい演奏家が「音の語らい」に出演してくださった。音楽好きの息子 剛のために、身近で生のいい音楽を聴きたいと言う願いにぴったり合った。

軽やかに願いを実現できたのは息子の喜ぶ顔が嬉しかったからだが、ご参加の皆さんの笑顔がこんなに幸せを運んでくださるとは予想を超えた心の動きだった。笑顔でファイナルをむかえさせていただこうと思う。みなさまほんとうにありがとうございました。

記念すべき82回目の「音の語らい」ぜひお越しくださいませ。



| - | 17:04 | comments(0) | - | pookmark |
ひと手間かける幸せ、省く幸せ
 

少し動くと息切れがして、

「ああしんど」「どっこいしょ」が口癖になった。

「どっこいしょ」「ああしんど」は掛け声でもある。

次の動作への励ましである。

ところが台所に立って、あれこれアイディア料理に挑戦していると

これが楽しくて息切れが後回しになる。

ひと手間かけると味が格段と変わったり、アイディアが意外な味を醸し出したりすると嬉しくて夢中になってしまう。

料理ほど楽しい家事はないなあと思う。

数分の蒸し炒めの延長で玉ねぎの甘みがましたり、一瞬のザルの取り遅れでお素麺の口当たりが台無しになる。

亡くなった父はよく「範子の湯がき加減はいいねえ」と褒めてくれたので、余計力がはいった。

今はタイマーを使って2分以内、夫も父と同じように硬い目がお好きのようだ。

父のように「いいねえ」と褒めてはくれないが、食べっぷりで

今日は満点だなと判断している。

「残りは明日の朝にする」という時はお口に合わなかった証拠、

明日の朝はもう無いのだ。

なかなかこれも面白いものだ。

年を経るにつれシンプルな素材を生かした料理が好みになったが、かえって手がかかるのだ。

工夫するのが面白い。

ひと手間という時間は想像の時間なのだ。

ガンちゃんのお陰でできた時間だ。

年を経てできた夢の時間だ。

若い頃にはとてもとても持てなかったひと手間。その頃の

違う工夫は如何に上手く手を省くか、早く子どもたちの口へ入れてやれるか、積み木崩しのような家事を手早くと必死だった。

共働き家庭のあの頃の夫は企業戦士と言われ普段の家庭生活は当たり前のように妻の仕事、家の中は最重要以外はひっくり返っていて、片付くのは日曜日という有様だった。

その頃の工夫、その1、洗い物ができなくて流しに物が溜まっているとき、大きな無地の布で覆って見えなくする。

その2、子どもたちの手を借りる。我が家は剛の病が中心になってから、一つ違いの長女の真澄が本当によく弟を見ていた。

子どもの観察力はすごいなあと思わされたものだ。

子どもらしい好奇心や遊戯心はそのままで自然な手助けをする。

その3、料理はのりこちゃんスープなどと大袈裟な命名をして、食卓の真ん中に鍋を出し、水を張ったらソーセージ投入、これがお出しになってくれる。ジャガイモ、キャベツ、人参、適当な野菜を順次切りながら投入、塩胡椒で味を見て最後にマヨネーズを浮かべたら濃くが出て子どもたちが喜んだ。

夏も冬も真ん中に鍋をよく登場させた。

それとやはり炒め物は早く仕上げる筆頭だった。

保育園に迎えにいくバスの時間を横目に閉店音楽の流れるスーパーを駆け足で買い物し、駆け足でバスに乗り保育園に駆け込み二人を連れて山道を歩いて帰るととっぷり日は暮れた。

まだ自家用車なるものを持たなかったからあの山道は忘れられない思い出を残した。休日は、たこ焼き屋さんごっこ、お寿司屋さんごっこにした。エプロンに豆しおり、子ども用の割烹着も縫ってやり、一緒に料理するものも餃子、お好み焼き、カレー、など、ごっこの中での食事は大人にも子どもにもいい時間だった。

手を抜くアイディア、ひと手間かけるアイディア、自然に年齢を経ながらできていくものだ。その時その時を喜びたい。





| - | 14:57 | comments(0) | - | pookmark |
7月老夫婦考
 

日々雑感           渡辺範子

 老夫婦という言葉から浮かぶ姿がある。

昔の映画の一場面で東山千栄子さんと笠智衆さん「東京物語」だったろうか、再放送のテレビ画面で見た。

少し背を丸めた笠智衆とその後ろからゆっくり歩く東山千栄子

会話は少ないがそれぞれの心の内を見事に表現していて

寂しさ、優しさ、侘しさ、思いやりや労わりあいを感じる後ろ姿だ。


東京に住まう独立した子供たちを当時としては一大決心で上京、訪ねた帰途であった。

後ろ姿に集約された人間の一生、小津安二郎監督は冷徹な目で描いている。

若い頃には理解できずにいたさりげない場面の中の、生と

老いそして死、家族の崩壊と絆、親と子の確執。

時代のもたらす変化を小津安二郎監督はいちはやく察知し

現代の私たちを予測する映画にした。

いまになってふと思い出しあの寂しさを感ずることができるようになった自分に驚いているのだ。

1953年昭和28年公開の映画だ。

戦後の混乱から立ち直り、日本が経済発展を目指していた頃、テレビが登場し街角で人々はその白黒画面に目を凝らした。

まだまだ各戸に買えるようなねだんではなく高級品だった。

子ども辞典の見開きにあったテレビジョンや掃除機の絵が珍しかった頃だ。しかし竈がガス釜になり、氷冷蔵庫が電気冷蔵庫になり、洗濯機が各家庭で回り始めるようになる。。


季節に合わせ着物地の洗張や、打ち直した綿で布団を仕立て直していた着物姿の母がまだ記憶にあるのは幸せだと思う。

「手作り」という言葉が特別なものになった現在では考えられないが、あの頃の各家庭では当然のことで、母たちは家庭にあって一流の専門家でもあったのだと今にして思う。

私は10歳小学校4年生だった。家族は両親と弟、妹5人家族、「おとうちゃん」「おかあちゃん」「ぼく」「まあちゃん」口にすると幸せに満たされ思わず笑がこぼれる。

テレビがないので夕飯のあとの団欒には家族でよく遊んだ。

早く母を亡くし、兄姉とともに玄関で新しい母を迎えた時のことを語る時寂しげな表情をみせた父だった。

そんな父が先頭になって遊ばせてくれるのだ。

おはじき大会、相撲大会、紙風船バレー、かくれんぼ、座敷机はあるときは卓球台になり、ネットがわりになり、おはじきの台になった。相撲は圧巻で子どもたちは父にタオルでまわしを巻いてもらい父にかかっていった。転がされて笑い逆さにされて笑った。

四股名をつける名人の父は「やせがしら」とか「あおばなかわ」

とか「とんきちやま」と呼び出しも兼ねた。

そのうち母も「よしばやまあ」とひっぱりだされる。あの頃の横綱

「吉葉山」に母は似ていた。私たちは一丸となって父にかかっていった。家中に笑いが溢れた。


月日は流れた。時代は変化していった。

遅ればせながら、我が家にも洗濯機、白黒テレビ、電気冷蔵庫、電話がやってきた。

生活はどんどん便利になった。無くしていくものに気づかないまま高度成長期に突入していった。

その真っ只中にいた私だが今やっと あの老夫婦と同じ年頃になり小津安二郎の世界を心の中に描けるようになった。

半世紀、人は進歩をしたのだろうか。






| - | 15:14 | comments(0) | - | pookmark |
5月柳川の旅初恋の人
 

     日々雑感    渡辺範子

 初恋の人に会ってきた。

会いたい人にあうこと、行きたいところにいくこと、思い立ったら吉日とわがままを実践中、がんちゃんの追っかけに追いつかれない内にと、今度の初恋の人との逢瀬も計画した。

 ゆったりしたいい町だった。高い建物がない。

家々も人々も密度濃い都会にはないゆとりがある。初めて出会った人とのおしゃべりにも笑顔が浮かび、双方が幸せな心地だ。

 人間、人と人を結ぶにはこんな間の妙が必要なんだな、スマホで繋がったように思っても、それは人間の間の妙にはならない。お互いを思い遣りあう想像力はこの妙あってこそなのだろう。そんなことをホテルのベッドの上で考えた。

 一面の麦畑にはすっくと青い麦の穂が実っている。

清らかな若い命に見とれた。夫の運転で車を走らせながら、その青いの麦の穂をかすめて私は飛んでいる。

夢見る夢子、昔の私がこの年になって再び登場するとは、旅とは不思議でおもしろい。

初めての地、憧れの柳川、目を細めて私は飛んでいた。

 柳が芽を吹き川面に映る。川下りは、珍しい女船頭さんの案内で情緒があった。水に映る木々、鳥の声、風景の向こうからきこえてくる子どもの声。

 さて初恋の彼のことだが、中学生のころ私は日記帳に彼の名前をつけ日々を彼に語っていた。隆吉さまと始まるので、かなり乙女ティックで少し創作なども入っていて、今出てきたら悲鳴をあげて逃げ出すことだろう。

 隆吉は水郷の町柳川に生まれた。明治18年のことだ。

 彼との出会いは中学生の頃、ふと表紙の白いからたちの花に目が止まり読んだ小説の主人公が隆吉後の北原白秋だった。

彼の子ども時代から青年期までを描いていて乙女はその彼、いや自分と同じ年頃の彼ら若い群像に恋をしたのだ。

 深い悩み、悲しみ、運命、その中で育っていく豊穣な精神性、どれも子どもっぽい私には持ち合わせていないものだった。

初恋はそれほど長く続かなかったが私の心の底で消えることなく芽を吹いたようだ。

治療で通院することになった久留米市から憧れの柳川は近い。「行きたい」といえば、夫が「行こう」と答えてくれ、治療の前の柳川二泊となった。ゆっくりゆっくりゆるゆる休憩しながらの旅だ。

 白秋の生家は昭和44年に復元され、民族資料館となって立派営されていた。彼が育った母屋に座り偲んだ。土間の井戸に子どものころ「とんかじょん」と呼ばれていた隆吉の姿を想像した。友と詩を読み文学を語りあった熱い青春時代の白秋たち。

ひとり浸っているとあっという間に時間が流れた。

「どうや、初恋の人に会えましたか」と夫が呼びに来て我にかえった。母屋から庭を見ると大きなザボンが実っていた。

白秋の子どもの頃にはすぐ傍に掘割があって川魚が豊かに跳

ねていた。彼の詩心は柳川の情緒の中で育てられたのだ。

  「もうしもうし 柳河じゃあ柳河じゃ 銅の鳥居を見やしゃんせ 

   欄干橋を見やしゃんせ 御者は喇叭の音を止めて

     赤い夕日に手をかざす」

息子たち男性合唱団がうたった柳川風俗詩「柳河」の旋律が

頭の中に流れてきた。

おや 初恋はこんな所まで繋がっていたのだ。












| - | 15:04 | comments(0) | - | pookmark |
スープ作りに熱中
 

    日々雑感    渡辺範子

 我が家では、今 買い物はほとんど夫が担当している。

和歌山へ出かけたついでに 蕪がほしいとかセロリやレモンがほしいなど注文すると 引き受けて、なんだか面白いものをみつけて一緒に買ってきたりする。地元の主婦がつくった不揃いのじゃがいもだったり、二股ニンジンだったり、珍しい色のじゃがいもだったりする。

 魚屋さんは、夫の得意分野で新鮮なものをみつけて下ごしらえまでしてくれる。肉屋さんとは当然の顔見知り、夫特製手作りベーコンの材料、豚バラの塊肉はここで仕入れる。

 さてこの日魚屋さんでの買い物は大漁であった。

朝から「甘エビのおつくりが食べたいなあ」「特製きずしが食べたいなあ」と食欲を取り戻した私のいやしさ、あさましさ、食べることばかり言うものだから呆れて夫は魚屋へ行った。

意気揚々と帰ってきた。

機嫌がいいのは何かいいものが見付ったしるしだ。

 まず、鯖、よく油ののった形も色も新鮮そのもの、びっくりしたのは大きな鯛の頭だ。

お相撲さんの手のひらをバッとひろげたような大きさで今さばいたばかりのような目の色だ。

甘エビはなかったが、活け足長えびのプリッとしたの、生で最高というのが,もうたまらない。 

あさましや、ぷりっとした足長にとびつきわさび醤油でみるまにすべてを昼食でいただいた。ああ幸せ。   

 鯖は夫の担当だ。例によって雪のように振った塩、これをあべかわ塩という、酢加減はなど薀蓄を述べ、つかの間、板さん風だ。

 さあて、私はお相撲さんの手のひらの鯛頭に俄然うまみを発見した。実は、ガンちゃんのお陰で今やだし汁、スープ、ポタージュの旨味に熱中、のめりこみ、昨日は鶏がらで、一昨々日は野菜で、透き通ったスープを作り悦にいっている。

 冷凍庫では、出し汁やスープ、ポタージュたちが、あるものは製氷機、あるものは卵ケース、あるものはぺっちゃんこの冷凍袋の中で出番を待っている。

 今日はこんなに新鮮で、たぶん生きていたときは目の舌30センチはあったであろう鯛頭だ。

もう、おいしい出し汁がすでに舌の先から口中に広がる気分だ。

出刃包丁で適当に切り分けた鯛頭に塩をふりレモンを絞り、もういっぽうで出し昆布をなべにつけ、1時間。

 レモンというのはさすが料理家辰巳芳子さんのアイデアの素晴らしさ、ちょっとしたことなのに、これがすっきりした魚の出し汁、

ヴィヨンになるのだ。病人のためにと研究された熱意を尊敬する。

さて一時間後、別に湯を沸かしここにもレモンを少々絞りこみ、鯛頭をさっと湯通し、流水できれいに血合いなどを洗いながし、出し昆布をつけた鍋に入れ火にかけ静かに炊く。あくを丁寧にとって20分、静かに、静かに煮出すのだ。さいごはペーパータオルで漉してできあがり。ちょうどやってきた娘が「うああっ おいしい!」という。なにもいれなくても旨さと滋養になるという実感がある。明日はこの出し汁をつかってブイヤベースと洒落ましょう。


 今、こんな一刻一刻が愛おしい。ありがたい。

がんちゃんに宣言された命の期限がたとえ執行猶予中であったとしても、幸せを紡げることを感謝している。



| - | 06:46 | comments(1) | - | pookmark |
老いさまざま近頃の老夫婦
 

     日々雑感    渡辺範子

老い様々、自分たちが老いて初めて気が付くことが多い。

今から30年ほど前に、エイジレスという言葉にであった。

トレーニングしだいで、老いない身体に精神となかなか心地よい響きであった。大体、運動音痴でトレーニングとは程遠い私にとっては「年寄り笑うなこれから行く道、若者笑うな通って来た道」というどなたかの口癖のほうがぴったりきてエイジレスという心地よさは眉唾、特別な人でしょうと思っていた。


ところがこのニュースには驚いた。どんな細胞にも生まれ変わるという万能の赤ちゃん細胞が作られたのだ。、将来若返りも夢ではない?まだ30歳の可愛い女性研究者が軽やかに世界的な発見を語っている。STAP細胞と名づけられたこの細胞、再生医療研究をまたまた発展させることになるのだ。

山中教授の発見そしてそのお人柄に魅せられ、ノーベル賞受賞に日本人は大喜びしたばかりだが、今度はこんな素敵な女性研究者小保方晴子さんのニュースだ。

久しぶりに新聞を読むのが心地よかった。


 さて近頃の老夫婦、はい、夫と私です。

妻は闘病中、夫は難聴、なかなか老夫婦らしく(でもないかなあ)

落ち着いた(フフフでもないでしょう?)風情です。

近頃二人ともブログに向かう時間ができまして、更新してはブログ会話をかわしております。

夫のブログは写真入りでちょっと面白いと思います。「正直のブログ」でPC上に登場します。

私はいつもの「日々雑感」に新しく「こんにちは癌」をひらきま

した。時間のできた老夫婦のおあそびには上々です。

まもなく結婚50周年、金婚式を5月31日に迎えます。

夫婦二人の生活になってはや20年近くになります。二人が七十歳を越えてから、老夫婦というのが板につき出したと思います。


つい先日季節はずれのあたたかさに誘われて、夫がテラスで

冬の園芸仕事をはじめた模様、階下で寝ている私の耳に足音や箒の音、テーブルや椅子を動かす音、はらった枝を落とす音などが、届きます。

なんだか全ての音が弾んでいるようです。

こちらも弾んできてベッドで休憩は即中止、そっと階段を登りテラスへあがりました。夫は気が付かず枝の古い葉をはらい片付けています。

日差しは春です。ベッドにいるよりテラスのベンチに座っているほうがずっと休憩効果があります。

それに夫の楽しげな作業振りはいい眺めです。

「おっ きてたんか」やっと気がついたようです。

「アネモネが元気やねえ」と私

「にんじんジュースのかすで作った有機肥料やようきいてんで下のアネモネは、もう蕾もってるで」と夫。

なんだか心も体もほっこり軽くなって気持ちがいいのです。

晩年の父が「見ていることもいいもんやで」と言った事が実感できます。私は夫が植木を手入れしたり、木工に熱中しているのを見るのが好きなんだと分かりました。夫が幸せそうなときは、実に木々に触れ語り木を細工しているときなのです。


| - | 09:24 | - | - | pookmark |
改名ことりちゃんのこと
 

 「 改名しますことりちゃんと呼ん」と宣言した。

夫が吹き出した。

 つい3ヶ月ほど前「私マサさんと呼ぶことにしたからかのりこさんと呼んでね」と言ったばかりで それは、インタビュウを受けていたご夫婦が互いを○○さんと呼び合っているのに「いいじゃないの、私たちも!」と半分ふざけながら「まささん(夫の名は正直なのだ)」と呼び夫は「のりこさん」と呼んでくれていたのだ。

ただ、他人のまえではいつものように「おとうさん」「のりこ」の

つもりでいた。そのはずなのに夫はわざと「のりこさん」とくに「さ

ん」に力を入れて外からわざと大きな声で呼び、私を困らせるのだ。

  さて、今回改名の事情は、ガンちゃんの成長が私の腸を圧迫して食べ物の通りを悪くしている。

「おいしい」と一口飲み込んだりしたら、さあ大変のど元は、機嫌よく通り食道を降りていった食べ物は腸で渋滞をおこす。

これが、苦しい。

年が明けてから、うどん、おもち、たまご、鶏肉、焼き魚をつめた。

油断して「おいしい」といつもの食いしん坊そのままでは、いけないと知らされた。大好きだったローストビーフなど詰めてしまうと大変なことになる。ガン先輩は、彼は大腸を手術している、3度ほど肉を詰めて入院したと言う。

 

 玄米菜食、なんでも噛めばオーケーだった食欲が変化した。

今まで感じなかったキモちゃん(抗がん剤)の影響か、味覚も変化し、食べることに新しい工夫が、いるようになった。

少しづつ少しづつ、小鳥のように啄ばむことで、食事が通る。

改名ことりちゃんの由来である。

 今、大好物は生牡蠣だ。ぷっくりした部分を口に含むと海の香りがして、とろけていく。

「おいしい!」くいしんぼうは、目を細めて幸せを感じる。

おでん、茶碗蒸し、うどんすき、味噌汁、煮魚、味がもうひとつ感じられず、期待外れの結果にがっかりする。

料理好きの面目も丸つぶれなのだ

今日、おいしかったのは夫の造ってくれた、生ずし。

よく油ののった厚みのあるあ新鮮な、880グラムの鯖を三枚に卸、塩をふる、これを「あべかわじお」という。塩でしめた鯖を三杯酢に漬ける。ただし決して漬けすぎてはいけない。

ここが絶妙の味をつくるこつ、生ずしは夫に限る。この漬け加減が絶妙なのだ。

「ゆっくり!よくかんで!」われとわが身に言い聞かせて口に運ぶ。久しぶりにおいしくいただいた。

 小正月のおぜんざいも大成功だった。

これは保温鍋を使って柔らかく煮た小豆を優しい甘さにしあげておもちをひとつ、http://go.microsoft.com/fwlink/?LinkId=121315今度こそは小鳥のようにほんの少しを啄ばんで・・・・・小さなお椀の半分をほとんど1時間かけていただいた。

大成功!今回のおもちは詰まらず腸まで到着だ。


 味覚についてあらためて気がついた。

噛めば噛むほどおいしいもの、のど越しを味わうためにほとんど噛まないもの。口に含んだときの香りや口当たりで、美味しさをあじわうもの、環境も大切、私たちはにぎやかに四六時中音楽が流れているのは、もう充分だ。和風だからと一つ覚えのような琴の音

などはまっぴらだ。でもお喋りをたのしみながら、笑いながらゆっくりいただけたら、10倍も20倍もおいしくなるのだ。

口からいただける幸せ、たとえ小鳥のように啄ばんでいてもです。 


| - | 18:43 | - | - | pookmark |
平成26年お正月
 

     日々雑感    渡辺範子

 新しい年が明けた。

明るい陽射しにほっとした三が日だった。

居間いっぱいに長い日が射して心がぱあっと明るくなる。


暮れに、庭木の剪定をしてくださったのは大志造園さん。

北側の松の剪定はお父さんが、南側の鬱蒼と茂った樫の剪定は息子さんの仕事だ。樫の木が冬の陽射しをさえぎっている。

できるだけ刈り込んでほしいという夫の注文にこたえて、お二人が打ち合わせを済ませ、作業が始まった。梯子の上で丁寧に一枝一枝、鋏や鋸を動かして半日を費やしてくださった。この枝掃いがなければ、ぱ。あっと明るくとはいかなかったのだ。その上、私にとっては特別の喜びがあった。

樫の木の剪定を任されているのは息子さん、いえ私にとっては今もしょうちゃんだ。黄色いものが大好きでよちよち歩きのしょうちゃんがおもちゃのバケツやマリや積み木を集めて、一緒にお昼ねしていたことを思い出すのだ。

そのしょうちゃんが立派に育った姿が今、目の前にある。

お父さんを越えた身長、寡黙に休まずこつこつと鋏を動かす姿が、お若い頃のお父さんと重なった。庭いっぱいになった刈り取った樫の枝は残らず丁寧に片付けられていた。「しょうちゃん、いえSさん、お陰で陽射しが飛び込んできましたよありがとう」


 そして大晦日、夫はその樫の木が傍にある縁側のガラス戸を磨き上げてくれた。

初日を迎えた。刻々と変わる空、光芒がテラスの私たちを照らす。お正月、樫の木と透き通ったガラス戸を見上げては夫と顔を見合わせては微笑みあった。逞しく育った若者を思い浮かべた。



 


| - | 13:23 | - | - | pookmark |
ああ!怪我 神様からの伝言
 

10月末のこと、我が老夫婦世帯を襲った魔女の一突きに後悔の日々です。魔女は「ぎっくり腰」を「足首の捻挫」にかえて登場、ほんの一瞬が運命の分かれ目です。

出先での出来事です。用を済ませてドアを開けて外へ、すぐの段差に足が反応できずガクッと崩れてしまいました。

見る間に左足くるぶしが腫上がり、冷やしてテーピング、でも歩けなくなりました。整形外科で踵から膝下まで固定していただきしばし安静と診断された次第です。

この固定する布、ご経験の方はご存知でしょうが、おもしろいで

すねえ、柔らかい布を濡らして踵を覆って15分でかたまり、くるくる包帯を巻いて治療終了です。手品のような施術をみて感心しきりでした。「お風呂に入るときははずしてもいい」というのも気にいって少しはほっとしたのです。

あれから1ヶ月、左足を引きずりながら家事、日にちを薬とつきあっております。この片足家事の疲れること足がむくんでくる、これはやむをえませんが、野菜を洗うにも切るにもいらないはずの片足が使えないのはこたえます。逆の右足の付け根や腰に違和感が出てくるのです。何事もバランス!これ大事です。

 とまあ70才の捻挫をじっくり体験中、みなさまご用心を・・・。


さてその4日後、今度は夫が大好きな木工で怪我。

なぜか怪我をした瞬間を私は即座に感じて、玄関をとびこんでくる夫より早く救急箱を準備しました。「えらいことしたあ!」「あらあ 怪我!?」この会話もう何度したことかしら。

木工仕事は決して楽ではありません。重い材木を運んだり、切ったり、削ったり、叩いたりというダイナミックな動き、ただしそれらは、全て、最後に仕上がる作品のベースで実は緻密な計算、計画の上になりたっています。そのダイナミックとは正反対に鑿や鉋

を使って組んだり合わせたり差し込んだりして繊細に仕上げていきます。傍で見ているとほんとうに興味深く、いえ夫の幸せそうな熱中振りに心うたれるのですが、これら全ての作業を一人でし遂げていくものですから、熱中振りも半端でなく、ひどいときは朝から晩まで工房に籠もります。

「職人さん、御茶はいかがかな」落語の「植木屋と旦那の台詞を真似て夫を工房から呼び出します。「いただきます」とたいがいはでてきますので、そこで休憩になるわけです。

夫、76歳「、信じられない体力」と痩せで力なしの妻は感心、いえ呆れているしだいです。

その熱中が怪我を呼んだわけですから、今こそと「気をつけなくては、プロの人は絶対休憩しながらというのは意味があるのねえ」とか「年齢を考えて」とかなんとか、あまりの熱中に言えずにいたことを言っております。「気をつけなくては」「年を自覚して」と私が言われたそのままです。ウフフフ

休日の怪我は大変です。消防署に連絡をとり伺った医院に問い合わせ、対応できるという3軒目k医院へ急ぎ止血施術、月曜日の形成外科での診察を終えk大学病院へ紹介され、入院、ここまで10日かかりました。ただいま針金で支えた薬指をかかえ、退屈にうんざりの夫です。

「なんといっても年齢を自覚しなくては」というのが友人知人のアドバイスです。 夫、今のところ神妙ですが、はてさてのように常に動きたい人ですから、治ったらまたやりたいことを山ほど予定して「こことおもえば、またあちら(♪牛若丸の節で)」と動き回りそうな予感がしてなりません。

 とまあそんなわけで夫婦そろっての怪我は、神様からの伝言のようです。「さあお二人、また次の人生、しっかり自覚して」と。


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