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日々雑感

幸せは日々の、雫のような時のなかにある。
毎月、つれづれなるままに・・・
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3月1日 時は春

 日々雑感           渡辺範子
縮こまっていた体の隅々がほっとしている。
この2.3日のあたたかさは園庭の梅のつぼみを次々開き、子どもたちを外あそびに誘い込み、大人に春の庭仕事を急かせる。
冬はオリンピックの舞台に集約されたようで、新聞の写真は雪景色を背に私などは到底できない究極の飛翔をみせる。

 毎冬、スキー場に出かけていた頃があった。
スポーツ音痴の私を最初に雪の中に連れ出したのは、夫である。当時は身長よりも長いスキー板を担ぎ、登山靴のような靴をスキー板にバネで止める適当な道具立てで、それでもちょっと そこここにおしゃれを決め込んで、モヘヤの毛糸で帽子を編んだり、上下を黒一色で統一して、トニー・ザイラー(スキー選手、後に映画スターになった)を決め込んだりした。
前傾,後傾、直滑降、斜滑降、全制動、私の硬い体に入ってくるのは硬い文字で、いわば漢文のスポーツだ。
シーズンの何日かをスキースクールなるものに入ったりしたが上達には個人差があった。
体がスキーを受け入れ、ボーゲン、パラレル、ウエーデルンができるようになると憧れの1級バッジも近いが、かろうじて3級に進んだまでで終わった。
 子どもたちを夫の属するスキークラブに同道するようになって、子供用のスキーウエアーを工夫した。今のように簡単に手に入らずキルティング生地を買って縫ってやった。
小さな二人がスキー場でちょこまかしているうちに娘の腕のほうが上達した。娘は、1級バッジを取り大学生の頃は冬の山小屋に行きっぱなしになった。
難病を抱え次第に不自由さを増した息子は5年生まで参加したが、スキーは履けずにそり滑り、クラブの大人たちの知恵で例外の例外だがその橇でバッジテストを受け4級バッジに輝いた。
やり遂げたという子どもらしい笑顔が今も忘れられない。
 それからスキーとは縁がない。

ところがこのオリンピックだ。
あの長い板を履き、山を登り、坂を下り雪の中をひたすら走る選手たちを見ていて ふと志賀高原の山々がよみがえってきた。
発哺、東館山、横手山、下手なスキーだが、だからこそ数少ない体験の、あの滑り降りる快感、体を全部使っての登り、顔にあたる新雪の心地良さ、霧につつまれた不思議がよみがえる。

息子は次第に筋肉が衰え、スキーとは縁がなくなったが、あのバッジテストの笑顔は色々な場面で再現された。
5年生の運動会、自分の力で走りきった徒競走、全員がゴールインしたあとをただ一人懸命に歩む、全力だ。ゴールイン。満面の笑み。中学3年生、電動車椅子での家出。思春期、大人への苛立ちをかかえて長い距離を行方不明になった。友人宅からかけてきた電話の明るさに笑顔がみえた。。
高校生、障害を持って生きる自分と向き合った弁論大会。
  「雲ひとつないいい天気、魚つりでもしようかな」
たしか澄んだ声でそんな風にして始まった彼の弁論、しっかり生きようと若者に呼びかけた。拍手の中でのあの笑顔。  教師になりたいという夢を語った、大学生の頃。
人はそれぞれのオリンピックを持っている。

時は春、子どもたちよ、新しい月日が待っている。
喜びを持って踏み出そう。

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