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日々雑感

幸せは日々の、雫のような時のなかにある。
毎月、つれづれなるままに・・・
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子育ての頃
 

日々雑感           渡辺範子

  長女が生まれたのは4月である。うまれてすぐにおっぱいを含ませ母子同室で過ごした。赤ん坊は湯を使わせる以外、いつも私の横にいた。おむつの替え方、抱き方、おっぱいの手入れ、すべて年の変わらない看護婦さんに習った。洗濯担当のおばあさんがいておむつを洗ってもらった。赤ん坊の便のことを習った。時々未熟を叱られた。母と呼ばれてもなかなか現実感のともなわない妊婦であった。「産まれたら二人で散歩、笑顔を交し合ってゆっくり、風や光を感じながらメルヘンの世界を母と子で・・・・」などと夢のように考えていた。童話を書いて赤ん坊の靴下を編んでと胎児の頃はまだそんなゆとりがあった。

10ケ月後,赤ん坊がこの世に誕生するやいなや、そんな私のメルヘンは吹っ飛んだ。 何から何まで、初めて目にする我が子の生活丸ごとが私に乗っかかってきた。夕方になると赤ん坊が不機嫌になった。おっぱい、着替え、だっこ、またおっぱい着替え、だっこ。一日中おっぱいを放り出しているような気がした。

1ヶ月は瞬く間にすぎ、桜爛漫の春は終わっていた。

夏のむうっとした空気を引き裂くように赤ん坊の泣き声がひびいた。沐浴に四苦八苦した。汗みどろになって湯をつかわせた。お風呂の後の安心しきったご機嫌ぶりにおもわず吹き出した。私も横になっておっぱいをふくませた。小さな部屋私たちのベッドの間に赤ん坊の細長いベッドを夫が作った。川の字で寝た。

 初めての孫、初めての姪、おちびは良いも悪いも親類中の注目を一手に集めた。寝なければまじないの紙が枕の下に敷かれた。泣くと抱き癖がついたのではないかと心配の種になった。おっぱいにむせると出過ぎるといい、泣くと足りないという。

要するに全員がめずらしかったのである。

夜中の発熱に近くの小児科に走った。夫は宿直で留守。近くに家がまだ建て込んでいなくて、決して長い距離ではないが、遠い田舎道をとぼとぼ歩いている心細さがあった。こんな頼りなげな母をこの小さな子が頼りにしている。小さな手が母の乳房をまさぐる。「おっこーん」と声を出すときの可愛いこと、こんな愛しい存在がいままであったろうか。全てを私に委ねて安心しきっている。

おっぱいをごくんごくんと飲む子、まどろむ子、笑う子、娘にみとれる幸せなひとときを感じるようになった。99パーセントの汗みどろに1パーセントのしあわせ、そして母になっていった。

息子は1年8ヶ月後に生まれ、私の生活は二人の子どもを中心に回るようになっていた。二人の午睡前のあののんびりしたひとときを思い出す。毎日私の口から出まかせのお話が続いた。鯨のフラワーが冒険する.森の木の上を散歩する。わたしのつたない童話に二人が耳を傾ける。右に娘、左に息子、やがてうつらうつらと夢の世界に入っていく。特別な流れ方をしたあの時の一刻一刻を取り出して紡いだら何色になるだろう。

 しかしもう一方で、私はなんともいえない焦燥感に襲われた。

私はこのまま狭い子どもとの日々、それだけの世界で終えるのだろうかと。心の底から湧き上がる若い魂、本を読みたい、社会へ出たいと魂が蠢くのである。

二人の子どもの寝顔を見るとこのままずっとこうしていたいと強く思い、その一方でそんなことを考えているのだ。

 息子が3歳になったとき、彼の体の中に巣食っていた病を知った。成人できないだろという医師の言葉が虚ろに中を舞った。

過ぎ去っていく日々がどれほど大切なものか思い知った。

一生懸命生きたいと思った。保母試験を受けて資格をとった。まだ無認可だった観心寺保育園に出会った。多くの子どもたちに学んだ。過ぎ去っていった時の中で、子育てのあの数年を甘酸っぱく思い出す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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