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日々雑感

幸せは日々の、雫のような時のなかにある。
毎月、つれづれなるままに・・・
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保育園のこと
 

日々雑感           渡辺範子

昭和52年無認可の観心寺保育園に若い父母たちが集まりました。大きな教室に畳を敷いた一室に保育園のほとんど全員の父母が、和気あいあいとした雰囲気で集ってきたのです。

現在の保育園のある場所ですが、川上中学校の跡地で木造の古い校舎を保育園として使っていました。廊下はセメント張りでそれぞれの教室の前には大きな靴箱、運動場の朝礼台の横には中学生の共同作品の彫刻が立っていました。この彫刻は新しい園舎を建てる際に移築して今は公民館の一隅にあります。

バレーボールが盛んでこの川上中学校の生徒たちは強豪のチームでした。今は彼らも孫ができ私と同じで祖父祖母世代になりましたが、この世代の子どもたちが保育園に入園してきた頃は、保護者のバレーボール大会を恒例のように行い優勝カップを争いました。運動会には当時中学校で作るのが恒例だった杉の木に無数の杉の葉を刺して濃い緑の入場門を父親達が作ってくれました。。小さな保育園を慈しみまた楽しんでくださったのです。

無認可の観心寺保育園(当時は幼稚園)は、当初のお寺から林間学舎に移り、そしてこの中学校の古い校舎に移っていたのです。学舎は今は駐車場になって数本の木のみが当時の面影を

かろうじて伝えてくれます。

子どもたちのために、この保育園を残したいという願いから集った父母、中でも若き母たちの熱意ある声が次々にでて、それぞれの地区に持ち帰り長老を動かし、和尚(わじょう)さん(住職)を中心に法人化するためのうねりのような力が結集します。

お寺の一角を提供し幼稚園を開かれたのは、今は亡き観心寺永島行善()(じよう)、季節保育所としてこれより遡ること20数年前のことです。今の永島理事長のお父上です。

農家の子どもの幼稚園、ちょっと寺子屋のような懐かしい場所をご想像ください。私は昭和45年その園で初めて保育という仕事に就いたのです。昭和39年結婚、40年長女誕生、41年長男誕生、覚束無いながら新しい人生を踏み出し母になりやっと地に足が着き始めた頃に見つかった息子の病気がきっかけでした。

今の医学では原因も治療法も不明、筋肉は次第に衰えてやがて歩けなくなる。おそらく成人できない。これが、その時の医師の説明でした。

この子とともに生きて行きたい育って行きたい、そう願って育児や家事をしながら得た保育資格でした。わが子は別の保育園に入れ私はお寺の保育園で子どもたちと過ごしました。暗い講堂の片隅、高い窓、どきっとするほど何も無い、しかし心の奥底に染みてくる何かがあるのです。高い木立や井戸、これらの自然は子どもを育てるための必須条件だと強く感じたのです

地区を家庭訪問しなんと素晴らしいところだろうと感動しました。

小鳥の声、川音、遠くでお年寄りの話す声・・・・緑の匂い

吹き抜ける風・・・・ゆったり時が流れています。

バスも車もほとんど通らない。買い物といえば車で出張移動してくる長瀬商店さんで、不便このうえない。この不便さがどれほど価値あることかその頃は気が付かなかったのです。

しかしゆっくり地区から地区へ歩いて行きながら幸せ感にみたされての家庭訪問でした。今では笑い話ですがこの家庭訪問の道中は靴を1足履き潰すような山道だったのです。

新設の「社会福祉法人 川上会」は河合寺から石見川までの地区が川上村と称されていたからです。観心寺幼稚園のなつかしい名前を残したいと「観心寺保育園」と名づけられました。

愛称を「やまのこのほいくえん」

 

、多くの人々の愛と熱意に包まれて生まれた保育園です。この園にあるあたたかさの原点です。子ども時代を堪能させたいというエネルギーの源です。

| - | 15:14 | - | - | pookmark |