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日々雑感

幸せは日々の、雫のような時のなかにある。
毎月、つれづれなるままに・・・
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猛暑
 

     日々雑感          渡辺範子

 猛暑、まことにもってこたえます。口を開けば「あっついー」と夫。

「殿、お覚悟あれ」、今日は暦の上でも大暑です。

 大暑をこえるこの猛暑、皆様お見舞い申しあげます。


 子どものころの夏、あらもう五,六十年年前と言わなくてはなりません。でもたった五,六十年でこんなに様変わりした風景、

時の流れは、人の想像を超えています。

 あの夏、4枚羽根の黒い扇風機、上の段に大きな塊の氷を入れた銅製の分厚い扉の氷冷蔵庫、釣りしのぶ、打ち水、竹製の衝立、夕涼み、縁台、校庭の映画会、6畳間一面に吊った大きな蚊帳、行水、ほとんどが死語になりました。

 母は、夏になると顔に汗が吹き出てくる人でした。

タオルが離せず自分でもおかしくなるのか「ふうー、この汗、もう、しょうないわ」と笑っていました。

その母が夏を楽しんでいたように思うのです。


 当時棟割長屋の小さな家に父母、長女の私、4歳下の弟、8歳下の妹の家族五人が暮らしていました。

よく笑う母でした。決して楽ではない家計の中で、子どものために犬や十姉妹を飼ってくれました。子どもの情操を育てると思ったようです。母はほんとうは犬が不得手でした。

犬の名前はトム、茶色の柴犬でした。当時紙芝居のおじさんが

日を決めてまわってきました。特徴ある語り口で「トム公のぼうけん」というのが必ずあって、そのたびトムは友達にからかわれました。トムは私が幼稚園の頃に死にました。苦しい息の下でそれでも父の帰りを待っているトムを本当は犬嫌いだったはずの母が懸命に看病していました。いただいた薬が強すぎたとか賢い犬だったと大人たちが話していました。父と沈丁花の下に埋めてやりました。 この頃は弟も小さく妹はまだ生まれていませんでした。

 白い十姉妹は、次々と卵を産んで代々我が家の玄関先で鳴き、小学校の教室の一隅にも居場所ができました。


 梅雨が明けると母はせっせと家のあちこちを模様替えです。

台所の入り口には古い着物地で小さな暖簾を掛け、玄関の衝立は竹製に入れ替え簾をかけて蚊帳を準備、お便所( そう、トイレなんてモダンなよびかたを誰もしませんでした。)の手水鉢の横に吊りしのぶが掛かり、6畳間の引き戸は外して簾にと言う具合です。汗の噴出した顔で夏を喜んでいるようでした。

 学校から帰ると氷冷蔵庫の上の段、ここには氷柱の小型のような塊の氷が入っているのですが、この氷が竹製のすのこの下の段を冷やす仕組みです。その小型の氷柱にトマトが冷えていて、

これは私の大好物です。お尻の青臭いところまで丸かじりして満足しました。

 夕方になるとどこのお家も打ち水をして涼をとります。

子どもは行水をおえて天花粉をはたいてもらって、鼻の頭が真っ白です。団扇をぱたぱたしながら大人がお喋りしている横で、肝試しなどしました。父は時々その輪に入ってくれて子どもを楽しませてくれました。 海水浴は、二色浜、浜寺、大和川、よく連れていってもらったのに私は、5メートルほどしか泳げません。

まだ美しい海や河でした。

ゆったりと時間が流れていました。

















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