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日々雑感

幸せは日々の、雫のような時のなかにある。
毎月、つれづれなるままに・・・
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7月老夫婦考
 

日々雑感           渡辺範子

 老夫婦という言葉から浮かぶ姿がある。

昔の映画の一場面で東山千栄子さんと笠智衆さん「東京物語」だったろうか、再放送のテレビ画面で見た。

少し背を丸めた笠智衆とその後ろからゆっくり歩く東山千栄子

会話は少ないがそれぞれの心の内を見事に表現していて

寂しさ、優しさ、侘しさ、思いやりや労わりあいを感じる後ろ姿だ。


東京に住まう独立した子供たちを当時としては一大決心で上京、訪ねた帰途であった。

後ろ姿に集約された人間の一生、小津安二郎監督は冷徹な目で描いている。

若い頃には理解できずにいたさりげない場面の中の、生と

老いそして死、家族の崩壊と絆、親と子の確執。

時代のもたらす変化を小津安二郎監督はいちはやく察知し

現代の私たちを予測する映画にした。

いまになってふと思い出しあの寂しさを感ずることができるようになった自分に驚いているのだ。

1953年昭和28年公開の映画だ。

戦後の混乱から立ち直り、日本が経済発展を目指していた頃、テレビが登場し街角で人々はその白黒画面に目を凝らした。

まだまだ各戸に買えるようなねだんではなく高級品だった。

子ども辞典の見開きにあったテレビジョンや掃除機の絵が珍しかった頃だ。しかし竈がガス釜になり、氷冷蔵庫が電気冷蔵庫になり、洗濯機が各家庭で回り始めるようになる。。


季節に合わせ着物地の洗張や、打ち直した綿で布団を仕立て直していた着物姿の母がまだ記憶にあるのは幸せだと思う。

「手作り」という言葉が特別なものになった現在では考えられないが、あの頃の各家庭では当然のことで、母たちは家庭にあって一流の専門家でもあったのだと今にして思う。

私は10歳小学校4年生だった。家族は両親と弟、妹5人家族、「おとうちゃん」「おかあちゃん」「ぼく」「まあちゃん」口にすると幸せに満たされ思わず笑がこぼれる。

テレビがないので夕飯のあとの団欒には家族でよく遊んだ。

早く母を亡くし、兄姉とともに玄関で新しい母を迎えた時のことを語る時寂しげな表情をみせた父だった。

そんな父が先頭になって遊ばせてくれるのだ。

おはじき大会、相撲大会、紙風船バレー、かくれんぼ、座敷机はあるときは卓球台になり、ネットがわりになり、おはじきの台になった。相撲は圧巻で子どもたちは父にタオルでまわしを巻いてもらい父にかかっていった。転がされて笑い逆さにされて笑った。

四股名をつける名人の父は「やせがしら」とか「あおばなかわ」

とか「とんきちやま」と呼び出しも兼ねた。

そのうち母も「よしばやまあ」とひっぱりだされる。あの頃の横綱

「吉葉山」に母は似ていた。私たちは一丸となって父にかかっていった。家中に笑いが溢れた。


月日は流れた。時代は変化していった。

遅ればせながら、我が家にも洗濯機、白黒テレビ、電気冷蔵庫、電話がやってきた。

生活はどんどん便利になった。無くしていくものに気づかないまま高度成長期に突入していった。

その真っ只中にいた私だが今やっと あの老夫婦と同じ年頃になり小津安二郎の世界を心の中に描けるようになった。

半世紀、人は進歩をしたのだろうか。






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