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日々雑感

幸せは日々の、雫のような時のなかにある。
毎月、つれづれなるままに・・・
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ひと手間かける幸せ、省く幸せ
 

少し動くと息切れがして、

「ああしんど」「どっこいしょ」が口癖になった。

「どっこいしょ」「ああしんど」は掛け声でもある。

次の動作への励ましである。

ところが台所に立って、あれこれアイディア料理に挑戦していると

これが楽しくて息切れが後回しになる。

ひと手間かけると味が格段と変わったり、アイディアが意外な味を醸し出したりすると嬉しくて夢中になってしまう。

料理ほど楽しい家事はないなあと思う。

数分の蒸し炒めの延長で玉ねぎの甘みがましたり、一瞬のザルの取り遅れでお素麺の口当たりが台無しになる。

亡くなった父はよく「範子の湯がき加減はいいねえ」と褒めてくれたので、余計力がはいった。

今はタイマーを使って2分以内、夫も父と同じように硬い目がお好きのようだ。

父のように「いいねえ」と褒めてはくれないが、食べっぷりで

今日は満点だなと判断している。

「残りは明日の朝にする」という時はお口に合わなかった証拠、

明日の朝はもう無いのだ。

なかなかこれも面白いものだ。

年を経るにつれシンプルな素材を生かした料理が好みになったが、かえって手がかかるのだ。

工夫するのが面白い。

ひと手間という時間は想像の時間なのだ。

ガンちゃんのお陰でできた時間だ。

年を経てできた夢の時間だ。

若い頃にはとてもとても持てなかったひと手間。その頃の

違う工夫は如何に上手く手を省くか、早く子どもたちの口へ入れてやれるか、積み木崩しのような家事を手早くと必死だった。

共働き家庭のあの頃の夫は企業戦士と言われ普段の家庭生活は当たり前のように妻の仕事、家の中は最重要以外はひっくり返っていて、片付くのは日曜日という有様だった。

その頃の工夫、その1、洗い物ができなくて流しに物が溜まっているとき、大きな無地の布で覆って見えなくする。

その2、子どもたちの手を借りる。我が家は剛の病が中心になってから、一つ違いの長女の真澄が本当によく弟を見ていた。

子どもの観察力はすごいなあと思わされたものだ。

子どもらしい好奇心や遊戯心はそのままで自然な手助けをする。

その3、料理はのりこちゃんスープなどと大袈裟な命名をして、食卓の真ん中に鍋を出し、水を張ったらソーセージ投入、これがお出しになってくれる。ジャガイモ、キャベツ、人参、適当な野菜を順次切りながら投入、塩胡椒で味を見て最後にマヨネーズを浮かべたら濃くが出て子どもたちが喜んだ。

夏も冬も真ん中に鍋をよく登場させた。

それとやはり炒め物は早く仕上げる筆頭だった。

保育園に迎えにいくバスの時間を横目に閉店音楽の流れるスーパーを駆け足で買い物し、駆け足でバスに乗り保育園に駆け込み二人を連れて山道を歩いて帰るととっぷり日は暮れた。

まだ自家用車なるものを持たなかったからあの山道は忘れられない思い出を残した。休日は、たこ焼き屋さんごっこ、お寿司屋さんごっこにした。エプロンに豆しおり、子ども用の割烹着も縫ってやり、一緒に料理するものも餃子、お好み焼き、カレー、など、ごっこの中での食事は大人にも子どもにもいい時間だった。

手を抜くアイディア、ひと手間かけるアイディア、自然に年齢を経ながらできていくものだ。その時その時を喜びたい。





| - | 14:57 | comments(0) | - | pookmark |