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日々雑感

幸せは日々の、雫のような時のなかにある。
毎月、つれづれなるままに・・・
9歳の少年
 

 孫が9歳になったので、夫が「旅の切符」を手作りして贈った。

その切符を使って新幹線さくらが目的で夏休み最後の旅をした。その日、 宮島は雨だった。無数の雨粒が海面を叩く。対岸の宮島港も煙ってみえない。鳥居は波に洗われ清められているようだ。

  昨日橋の下に見た鹿、干潮の砂浜を動き回っていた蟹、魚、波頭の表情、水量の増えた川の流れ、少年の興味は尽きない。

雨の中を飛沫をあげて歩いている。祖父母はその姿に見とれる。 街の一角に見付けた工房はさっきまで働いていた人を感じさせるが、灯りはおちていた。鉋や大小の鑿、轆轤、おそらく職人さんが工夫を凝らし自ら作った道具類だろう、みたこともない長い柄の刃物がならんでいた。窓に額をおしつけて見ている祖父は「ほう、すごいな」と感嘆する。

伝統工芸と看板が上がっている所は明かりがついて、店らしい風体をしているが、ここはもう閉めて灯りも落としている。

表に回り「ごめんください」と恐る恐る声をかけ、引き戸を開けた。

奥から老婦人が出てこられた。灯りが点いて、松を素材にした棗や茶托、お盆や刳り物が並んでいることが分かった。さっきまで眠っていたそれらの品は突然の灯りに目覚めたようだ。

老婦人は工房の主の奥様だった。主は数年前になくなられていた。問わず語りに話されることから、工房の主が轆轤細工一筋に歩まれ伝統工芸士に認定されたこと、宮島細工の中心だったことがわかった。一流の腕がこの工房の空気に今も緊張感を与えている。主亡き後、片付ける気にはならない、道具類を譲ってほしいという声にも応じる気にはならないと奥様はおっしゃった。

 9才の少年の心を何かが捕らえた。話している大人を残してひとり工房の窓から一途に職人の残した道具類を見ている。

「おじいさんの作った棗ほらきれいやろう、この茶托はこれから磨いて黒うなって艶がでる。松脂が滲んで最初は透かして

みると灯りが通るけど 毎日磨いとると、硬くてつるっとして、こんなになるんや」と奥様が孫に話しかける。目を見開いてその言葉に耳を傾けている。こんな風にして、こころを膨らませているのかとあらためて驚き、これまで記憶にある彼の言葉を反芻した。

  ある時 「お母さんと別れるときは、いやだけど そのあとは もうちょっとこのほうがいいと思う。だってうるさいもん。それはいけませんとか いまはだめとか」 そういえばあれほど可愛く一途に母を求めていた柔らかい皮膚の舌足らずの坊やが、日焼けした硬い皮膚、ただしそれは初々しさを残した硬さで、鼻の頭の傷痕や膝頭の擦り傷は、舐めて治してやりたいような赤ん坊の頃の片鱗を残しているが、命の塊のような少年になった。

またある時 「死ぬときの気持ちってわかる?」おおばあば(曾祖母)が死んだ。笑っていたことや、ぼくを抱いていたことは前のことだけど、さっきまでは、眠っていたのに。鉄の扉が閉じて炎が眠っているおおばあばを包んだ。熱くないの?ああ、あ ぼくお葬式に行かなければよかったよ。それからずっと考えてる。死ぬってどんなことか。

ある時 「大人はどうして戦争するの?日本が戦争したらぼく池宮さんのところに逃げてきてもいい?家族みんなでゲストハウスに来てもいい?泊まっていい」またある時「みんなの前でピアノ弾くとき どきどきしないの?はずかしくないの」ぼくは恥ずかしいとき思わずふざけたり暴れだしたりしたくなるよ。「 ぼくはピアニストの池宮さんが大好きだ。いっしょにいると色々なこと考える。やさしいことってどんなこととか、平和を願うこととか」


  子どもを育てるのは大人の責任だと強く感じる。

 橋渡しする大きな愛を学びたい深く感じたい。


| - | 17:29 | - | - | pookmark |
秋 浄瑠璃寺
 

点滴注射はなかなか慣れない。腕の血管を選んでようしここぞとばかり針が来る感じがまずいや、ここで「ああ血管が動いて入らなかった」なんて言われたら最悪、それでも こちらは人生を重ねた年配者「いえいえ大丈夫」と見栄をはってしまい、内心泣きそうなのを堪える。そこで子どものように頑張ったご褒美と勝手に決めて小さな旅に出ることにした。

 

点滴注射はなかなか慣れない。腕の血管を選んでようしここぞとばかり針が来る感じがまずいや、ここで「ああ血管が動いて入らなかった」なんて言われたら最悪、それでも こちらは人生を重ねた年配者「いえいえ大丈夫」と見栄をはってしまい、内心泣きそうなのを堪える。そこで子どものように頑張ったご褒美と勝手に決めて小さな旅に出ることにした。

 

 まだ紅葉には早く京都から奈良の山道は人の姿もまばらだ。

運転は夫にまかせて私は景色に見とれる。

細かな金色の光がふりそそぎ、風がその合間を抜けていくと

木々がいっせいに踊りだす。

すすきの穂など銀色をなお輝かせてそよぐ。風の道は呼応するように自由自在に進み戻りする。

飾り気のない山の辺の道が人知れずこんなに鮮やかに輝いている。桜の葉が少しだけ染まっている。「ほら、ほら」夫に知らせる。 「ほう桜もみじ」と言ってまたすぐ運転手にもどる。


 私は過去の記憶も大雑把で細やかさがない。記憶が埋没して、忘れていることのほうが多い。夫はこの逆で実に細やかに覚えている。50年前に来た道をたどったり、そのときの小さな出来事を覚えている。ひょっとしてこの変哲もない道で私が「ほら」と言って桜もみじを愛でたことも覚えていることになるかしらなどと妙なことを考えた。

「ガンちゃん」と共の暮らしになってゆっくりした時間がとれるようになった。いや老いに与えられる人生のご褒美かもしれない


「浄瑠璃寺へ行こうか」と夫が言い、前日の琵琶湖の宿をでての順路が決まった。

堀辰雄のエッセイ「浄瑠璃寺の春」が好きだった。結婚して家事に追われるようになってからもふと自分を取り戻すように台所の流し台の上にこの本を立てて炊事をしながら朗読した。

馬酔木の花を知ったのは、このエッセイからで前栽に夫が植えてくれたのだが今は絶えてしまった。

 浄瑠璃寺は変わらずさりげなくあった。蓼の赤い実を「おおう!」と夫が指差した。水引草、藤袴、萩、擬宝珠、門前の石仏と共に笑いさざめくように、けれども密やかに咲いているのだ。

「九体寺やったら、あこの坂を上りなはって、2丁ほどだす」堀辰雄が道を問うと少女がこたえる。当時の当尾の里と変わらない風景の中を私たちは静かな山道に詫びながら車ですすむ。

 九体仏は阿弥陀堂の中に祀られている。浄瑠璃寺を「九体寺」という所以だ。その真東に池を挟んで建つ三重塔は朱色に彩られ、中に本尊の薬師仏が祀られているのだ。

阿弥陀堂へ歩を進める。入り口で竹の杖を借りてここまで上ってきた。その杖をひとまず縁さきにやすませ、靴を脱いで本堂を囲む縁側に進む。「あっ」息を呑んだ。常緑の高い木立のてっぺんから波の音が聞こえる。それは風が樫の木を揺する音だった。しばらくそこに座りじっとしていた。色づいた柿がひとつ緑の中でめだった。薄暗いお堂の中で神妙な気持ちになった。

 外へ出て中央宝池を巡り三重塔へ、池は昭和五十一年から、なんどかの調査、研究、復元整備の末、ほとんど久安六年(1150)時代の姿をよみがえらせたという。

 堀辰雄がこの池のそばに立ったときは、昭和初期に植えられた睡蓮に覆われた池だったようだ。

今、池の面がさわさわと風紋を作るのを見ると心まで澄み渡る。

満たされた気持ちで帰途についた。














 まだ紅葉には早く京都から奈良の山道は人の姿もまばらだ。

運転は夫にまかせて私は景色に見とれる。

細かな金色の光がふりそそぎ、風がその合間を抜けていくと

木々がいっせいに踊りだす。

すすきの穂など銀色をなお輝かせてそよぐ。風の道は呼応するように自由自在に進み戻りする。

飾り気のない山の辺の道が人知れずこんなに鮮やかに輝いている。桜の葉が少しだけ染まっている。「ほら、ほら」夫に知らせる。 「ほう桜もみじ」と言ってまたすぐ運転手にもどる。


 私は過去の記憶も大雑把で細やかさがない。記憶が埋没して、忘れていることのほうが多い。夫はこの逆で実に細やかに覚えている。50年前に来た道をたどったり、そのときの小さな出来事を覚えている。ひょっとしてこの変哲もない道で私が「ほら」と言って桜もみじを愛でたことも覚えていることになるかしらなどと妙なことを考えた。

「ガンちゃん」と共の暮らしになってゆっくりした時間がとれるようになった。いや老いに与えられる人生のご褒美かもしれない


「浄瑠璃寺へ行こうか」と夫が言い、前日の琵琶湖の宿をでての順路が決まった。

堀辰雄のエッセイ「浄瑠璃寺の春」が好きだった。結婚して家事に追われるようになってからもふと自分を取り戻すように台所の流し台の上にこの本を立てて炊事をしながら朗読した。

馬酔木の花を知ったのは、このエッセイからで前栽に夫が植えてくれたのだが今は絶えてしまった。

 浄瑠璃寺は変わらずさりげなくあった。蓼の赤い実を「おおう!」と夫が指差した。水引草、藤袴、萩、擬宝珠、門前の石仏と共に笑いさざめくように、けれども密やかに咲いているのだ。

「九体寺やったら、あこの坂を上りなはって、2丁ほどだす」堀辰雄が道を問うと少女がこたえる。当時の当尾の里と変わらない風景の中を私たちは静かな山道に詫びながら車ですすむ。

 九体仏は阿弥陀堂の中に祀られている。浄瑠璃寺を「九体寺」という所以だ。その真東に池を挟んで建つ三重塔は朱色に彩られ、中に本尊の薬師仏が祀られているのだ。

阿弥陀堂へ歩を進める。入り口で竹の杖を借りてここまで上ってきた。その杖をひとまず縁さきにやすませ、靴を脱いで本堂を囲む縁側に進む。「あっ」息を呑んだ。常緑の高い木立のてっぺんから波の音が聞こえる。それは風が樫の木を揺する音だった。しばらくそこに座りじっとしていた。色づいた柿がひとつ緑の中でめだった。薄暗いお堂の中で神妙な気持ちになった。

 外へ出て中央宝池を巡り三重塔へ、池は昭和五十一年から、なんどかの調査、研究、復元整備の末、ほとんど久安六年(1150)時代の姿をよみがえらせたという。

 堀辰雄がこの池のそばに立ったときは、昭和初期に植えられた睡蓮に覆われた池だったようだ。

今、池の面がさわさわと風紋を作るのを見ると心まで澄み渡る。

満たされた気持ちで帰途についた。

| - | 15:17 | - | - | pookmark |
メイン州へ
         渡辺範子

  ピースファームへ続く道は高い木々が導いてくれる。

森の声が聞こえる。風の囁きが聞こえる。

 13時間もかけての長旅をその身体で何故わざわざと主治医。

もしなにかあったら一大事「アメリカは、医療費は高いし、手術も日本のようには行かない」との要注意、

その脅しにも思いとどまらず、「人生の目的がそこなら」と、すすめられた抗がん剤その名もアブラキサン

を7月1日思い切って受けた。大体鈍感なのかなにか、抗がん剤初体験のTS1は1週間で不適応にな

り、もうやるまいと思っていたのに、一年半後の転移のためパクリタキセルを受けた(パクリやアブラキや

変な名前です)。髪の毛が総ざらえ抜けた。それでも辛い副作用は実感しなかった。もちろん自覚症状

が軽くても健康細胞はダメージを受け白血球、赤血球は悲鳴をあげたが、がんには、ダメージが届かな

かった。


 今回は自覚症状の指先のしびれや動悸、貧血、疲労感、口の渇きや目の乾きまでこれはなに?とい

うしんどさを味わった。

 それでも出発を1週間後に控えた診察「きっと13日元気よく帰ってきますから」と言う私に主治医も

「いってらっしゃい」と求めた握手にこたえてくださる。

 というわけで娘が介護員として孫とともに同行、夫はレンタカーの運転のため国際免許の手続き済ま

せた。妹は奈良から出発準備を手伝いに来てくれた。

周囲に影響を及ぼしながらそれでもメインへと思ったのは、この高い木々、森の声、風の囁きが私を呼

んだのだ。

ピースファームの主は、ピアニストの池宮さんご夫妻。じゃがいも、ニンジン、ズッキーニー、きゅうり、ト

マト、とうもろこし、バジル、セージ、ケイル、ブルーベリーにブラックベリー洋梨、レモン、にんにくに、と

書ききれないほどの野菜を有機農法で育てていらっしゃる。お二人は本格的なヴェジタリアン、奥さん

のとも子さんの研究とひらめきのレシピはねぎドレッシング、紫蘇ペースト、スクワッシュ(これは黄色の

ズッキーニーのこと)のキムチ、スムージーはケールたっぷりだ。ズッキーニーを細く長くスパゲティのよう

に仕上げてこの紫蘇ペーストを混ぜると美味しい。

ピースファームの野菜はお二人の心身の健康の基になっている。

 心地よい風が白樺の森を吹き抜ける。

「渡辺さんたちと共にやってきた風ですよ」と正信さんが仰る。

とも子さんの見た夢にも剛が登場していたのだからと、私は目を細めている。亡くした子がこんな風に思

い出されて幸せだ。

お二人の厚意が身に染みてくる。

 心のままに幸せを、心のままに感謝を、心のままに大好きを身体が感じるのかどんどん楽になっていく。

 湖の辺のピクニックは、ご近所さんがそれぞれ得意の一品をもちよって集まってくる。お隣といっても車

で何マイル、森ひとつ抜けた先という感じなのだ。がん治療中だったゲイルさん、デビーさんがお元気

な姿で今年も参加、ぜひ来年も会いましょうと約束のハグ、お互いを思いあってのハグ。 雨上がりの青

い空に大きな虹があがった。湖にその虹が写って誰もが幸せな気持ちを共有した。カヤックに乗った

り、大きな蛙を捕まえてはしゃぐこどもたち、孫もその輪のなかにいる。違いを越えて、国境を越えて。

この子達の未来に希望をもちたい。

 人のあたたかさは国を越えても変わらない。

そして平和な世界はひとりひとりの愛がつながって実現する。



| - | 18:58 | - | - | pookmark |
猛暑
 

     日々雑感          渡辺範子

 猛暑、まことにもってこたえます。口を開けば「あっついー」と夫。

「殿、お覚悟あれ」、今日は暦の上でも大暑です。

 大暑をこえるこの猛暑、皆様お見舞い申しあげます。


 子どものころの夏、あらもう五,六十年年前と言わなくてはなりません。でもたった五,六十年でこんなに様変わりした風景、

時の流れは、人の想像を超えています。

 あの夏、4枚羽根の黒い扇風機、上の段に大きな塊の氷を入れた銅製の分厚い扉の氷冷蔵庫、釣りしのぶ、打ち水、竹製の衝立、夕涼み、縁台、校庭の映画会、6畳間一面に吊った大きな蚊帳、行水、ほとんどが死語になりました。

 母は、夏になると顔に汗が吹き出てくる人でした。

タオルが離せず自分でもおかしくなるのか「ふうー、この汗、もう、しょうないわ」と笑っていました。

その母が夏を楽しんでいたように思うのです。


 当時棟割長屋の小さな家に父母、長女の私、4歳下の弟、8歳下の妹の家族五人が暮らしていました。

よく笑う母でした。決して楽ではない家計の中で、子どものために犬や十姉妹を飼ってくれました。子どもの情操を育てると思ったようです。母はほんとうは犬が不得手でした。

犬の名前はトム、茶色の柴犬でした。当時紙芝居のおじさんが

日を決めてまわってきました。特徴ある語り口で「トム公のぼうけん」というのが必ずあって、そのたびトムは友達にからかわれました。トムは私が幼稚園の頃に死にました。苦しい息の下でそれでも父の帰りを待っているトムを本当は犬嫌いだったはずの母が懸命に看病していました。いただいた薬が強すぎたとか賢い犬だったと大人たちが話していました。父と沈丁花の下に埋めてやりました。 この頃は弟も小さく妹はまだ生まれていませんでした。

 白い十姉妹は、次々と卵を産んで代々我が家の玄関先で鳴き、小学校の教室の一隅にも居場所ができました。


 梅雨が明けると母はせっせと家のあちこちを模様替えです。

台所の入り口には古い着物地で小さな暖簾を掛け、玄関の衝立は竹製に入れ替え簾をかけて蚊帳を準備、お便所( そう、トイレなんてモダンなよびかたを誰もしませんでした。)の手水鉢の横に吊りしのぶが掛かり、6畳間の引き戸は外して簾にと言う具合です。汗の噴出した顔で夏を喜んでいるようでした。

 学校から帰ると氷冷蔵庫の上の段、ここには氷柱の小型のような塊の氷が入っているのですが、この氷が竹製のすのこの下の段を冷やす仕組みです。その小型の氷柱にトマトが冷えていて、

これは私の大好物です。お尻の青臭いところまで丸かじりして満足しました。

 夕方になるとどこのお家も打ち水をして涼をとります。

子どもは行水をおえて天花粉をはたいてもらって、鼻の頭が真っ白です。団扇をぱたぱたしながら大人がお喋りしている横で、肝試しなどしました。父は時々その輪に入ってくれて子どもを楽しませてくれました。 海水浴は、二色浜、浜寺、大和川、よく連れていってもらったのに私は、5メートルほどしか泳げません。

まだ美しい海や河でした。

ゆったりと時間が流れていました。

















| - | 18:50 | - | - | pookmark |
音の語らいのこと
 

日々雑感          渡辺範子

  緑がぐんぐん濃くなって夏風景のテラスだ。

大雨の空模様をうんざりして見ている私にひきかえ、

まあ プランター育ちの胡瓜、トマト、かぼちゃたちの燥ぎよう

といったら。 「待ってたんです!待ってたんですよう この雨」とばかり胡瓜は黄色い花を簪にして一気に実り、トマトは小さいながら初成りのが真っ赤に染まった。

かぼちゃ、実はこのかぼちゃ、わが家のコンポストに残っていた種が芽を吹き勝手にプランターを専用したのだが、

これが元気 元気、蔓を伸ばし大きな葉を自由に動かして、

大笑いしているのだ。

   長い日照りの日々を細々と届けられるホースからの水で耐えていたから、大笑いも 待ってたんですようという思いも人間とは

言いながら私にもよく分かるなあ。

  話はころっと変わるが

  生物すべて、そして雨も 空も 山も河も、そう 宇宙は命の流れを受け継いできた。

人も小さい存在ながらその脈々とつづく命の流れを感じ音楽にした。音楽は命に染みてくるもの。「待ってましたよう」になるもの。

バッハもブラームスもショパンも しずくが連なって深い根っこに届く。  こんな音楽を奏でる人がうらやましい。


  私たちは「音の語らい」と名づけてクラシックを身近で聴く会を始めた。もう30年ちかく前になる。

ファーストコンサートは「コーヒーカップを片手にクラシックを」と

金剛山の麓で弦楽四重奏を楽しんだ。

それは少学校の同窓会もかねていたから参加者は懐かしい面々。

オープンしたばかりの喫茶店の閉店後を借用して会場にした。

遅れてきたYさんは、明かりが森の暗闇からもれてきて最高のシチュエーションだとよろこんでいた。さすが建築家Yさん、彼のデザインは周囲の環境草花木々風からもその建物を生かす。

クラシックは柄じゃないといいながらそれからは毎回参加して「音の語らい」の常連になった。筆を走らせているなと思ったら演奏家をスケッチしている。音もスケッチしている。

 参加してくださる方は会を追うごとに増えた。

演奏家にも恵まれた。フルート奏者ジャン・ミッシェル・タンギーさんは後の会でベルギーから木管五重奏団を伴って来てくださった。小さな我が家での宿泊は、まるで雑魚寝状態 心温かいメンバーはそれでも喜んでくださった。

息子のためにつくったエレベーターを喜びガーと激しい音がするのも皆で楽しんだ。その頃はタンギー夫妻のお嬢さんの結婚式でスペインを訪れることになるなんて予想もしなかった。

 堀米ゆず子さんとはタンギー夫妻が縁でアムステルダムの桟橋での出会いが最初。いつか「音の語らい」でという願いが叶い、

10年続けて出演、河内長野のみなさんに喜んでいただいている。

7月 80回目のメモリアル「音の語らい」は、ちいさな会場で開催することになった。 堀米ゆず子、津田裕也、ヴィヴィアーヌ・スパゲノというビッグメンバーでトリオコンサート、こんな素晴らしい会を開催でき幸せなことといったらない。  「主催する私達夫婦、あらあ!老いました。夫は75歳、妻70歳に相成りました。」

 ここまで書いたらどうしてもゆず子さんの音色に浸りたくなった。

大好きなバッハの無伴奏曲2番パルティータ。 音楽に人生を重ねて越し方行く末に思いを馳せる。 

音楽が心の深いところまで染みてくる。命のしずくをもろ手に受ける。全身で受ける。

ああ、こんな音楽を奏でる人がいる。


| - | 07:06 | - | - | pookmark |
忘れられない日
 

    日々雑感         渡辺範子

 子どもたちに命のエネルギーを感じる。天地を震わすように泣く声、満面の笑み、踏みしめる一歩、怒っている、喜んでいる。 

一刻一刻、全身で生命を謳歌している。

 私の息子はその頃に病を宣告された。

当時、原因も治療法もない筋ジストロフィ ドゥシャンヌ型というのが愛しい長男への最終診断だった。

20代の未熟な母だった。

母であることだけが 絶望、怒り、涙に向き合う小さな炎となった。

息子の寿命を宣告された3歳から、私達家族は命を見据えて

生活することになった。

 どのように死ぬかという不安、と同時にどのように生きるかという希望が表裏一体で、根本から生き方を問い直された。

症状は進み息子は車椅子生活だったが高校、大学と若者らしく未来に向かって生きていた。

その息子を22年前に亡くした。24歳、旅先のことだった。

車の中で呼吸がとまり心臓が停止。

運命の病であり覚悟していたこととは言え必死だった。

救いたい思いで車中、娘と私は人工呼吸と心臓マッサージをし、夫は考えられない力を奮い立たせ車を飛ばし病院に到着した。

運よくそろっていた救命スタッフによって息子は蘇生、すぐに自分の記憶を確かめているようだった。

手振りで書くものをというので渡すと過剰診療×、過剰投薬×と書いた。 今までの自分の人生がそうであったように、人として

あたりまえにありたいと思っていたのだろう。

ある時、天井をみて呼吸器に繋がった口をパクパクさせた。

苦しいのだろうかと不安になった。じっと見ていた娘が

 「歌ってる!剛さんうたってるんやね」と言った。

にこっと笑ってなおもパクパクする口元、「柳河や、そうやね剛」と姉。それは北原白秋作詞 多田武彦作曲「柳河」、大学の男性合唱団で歌った曲だ。

入院のベッドで声の出せない息子のささやかなホームコンサート、いつのまにか弟の一番の理解者になっていた娘だった。

「剛さん、次ペチカ歌おう」と娘、「雪の降る夜は たのしい ペチカ ペチカもえろよ」4回生の最後のコンサートで息子が独唱した曲、歌いながら私たちはほっとし、幸福な気持ちになった。

それは息子からのプレゼントだった。

息子は伝えていた。「生きているよ 僕は僕のままで」と。

 私達家族は入院を日常の生活の延長線上にとらえようとしはじめた。たとえ呼吸器をつけ、声が出ず、心電計に繋がれていようとも 笑いたい、おしゃべりしたい、音楽を楽しみたい、美しい絵を見たい、息子が少しでも心地よく過ごせるように家族は工夫をした。夫は息子愛用のワープロを取りに帰り、音楽や落語のテープ、画集なども病室に運んだ。

いつのまにか、病院のスタッフが息子の意思を大切にしてくださるようになった。「やっとできた休養のひととき どうかお静かに」と病室の入り口に吊るしたメッセージをご覧になって笑顔でうなずき「あとにしましょう」と言ってくださった。嬉しかった。

 息子は逝った。 

入院中たくさんのプレゼントを私たちに残して逝った。

「鐘の音がきこえるよ、5時に窓あけてみ」ああ あの音色。

「風になる」 ああ 病室に吹き込んだあの風。

「じっと目をみると 人柄がわかるんや いい人やと」

ああ あの笑顔と丁寧な看護の看護師さん。

 彼が残した言葉は、今もこの母を安らげてくれる。

私たちにとって忘れられない日がまたやってくる。


| - | 18:05 | - | - | pookmark |
牛若参上
 

最新の夫のあだ名を命名、その名も「牛若丸」。

ご存知だろうかこの歌「♪京の五条の橋の上,大の男の弁慶が」というのである。「♪牛若丸は飛びのいて、ここと思えばまたあちら」燕のような早業に大の弁慶が降参するという歌、命名にぴんときたのは、「♪ここと思えば、またあちら」のフレーズ、まさに夫のある日ある時間だ。お天気がいいとこれがまあ すごいことに、

光に誘われ、テラスにでて少々薹のたった小松菜や大根の花を収穫してくる。 この花、和え物やサラダに散らしたり、硬い茎と共に私の野菜ジュースのもとになる。何しろ我が家の小さなテラス菜園で冬も越えたいじらしい子(育てると この愛です)。ひげ根も穴あき葉っぱも薹立ちの茎も愛おしくて捨てられません。

 確か夫はそのテラスにいたはずと 掛かってきた電話をお待たせして呼びにいくと、はや夫は庭に出て若芽を愛で、入れ替わった樫の木の落ち葉を掃き寄せている。かと思えば とんとんと金槌の音、今度はアトリエ(夫の木工場)だと思ったら、

またもやテラスで植木棚の修理、 「ああいい日やなあ、今年はバラが成績優秀、冬の手入れがきいてるなあ」と目を細めている。こんな訳で、ご近所さんが夫を訪ねてくださっても「お父さんどこですかあ」と家の中で行方不明となった夫を探すことにあいなる。

まるで彼方此方に隠れ部屋のある忍者屋敷に住んでいるよな不便さ、屋敷は狭いし仕掛けもないが夫が忍者いえ「ここと思えばまたあちら」の牛若丸なので、こちらもあれこれ予測して動く

奥義を窮めるわけでなかなか鍛えられる。

外出用靴、作業用靴、仮履き用つっかけ靴もある、ということは家にいるはず、呼んでも返事がない「牛若はいずれに」とここで考える。「庭履き・・・・あっ ない」 ということはひょっとしてアトリエの階段の奥と想像する。正解!奥の漆部屋(一人入れば満員)に見つける。牛若殿参上、とまあこんな具合なのでこのあだ名がついた。なぜ庭下駄を履いてアトリエとなるのか、夫は庭で木々の成長に目を細めていた。そこで作業途中の美しい漆のできが気にかかり、そのまま階段を上がり、漆部屋へ直行したといったところだ。洗面所で歯磨きをしていたはずが消えた。

ひょっとしてと見るとお風呂場で洗面器とにらめっこ、ただいま夫は活水機による水の粒子の働きを実証しようとしております。

洗剤なしで汚れが落ちるを確かめているのです。

お陰で冬物衣類が漬け置きの洗濯実験でほとんど洗濯屋さんのお世話にならずに片付いていきます。

 70歳を越えると何故かやりたいことが一気に押し寄せてくる。時間がたりない。一日一日は矢のように去っていく。

まして夫のようにまるで少年のごとき探究心が湧き上がる人は大変だ。夫のこの部分は孫と同じで、8歳頃の少年の気持ちがよく分かるのか付き合い方を見ているとなるほどと感心する。

 つい先日は自転車に乗って河内長野市中のサイクリングに付き合った。その距離半端なものではなく、市役所、消防署各所など孫の日ごろのテリトリーが分かった。つづいて高向、お腹が空いてきて昼食はおうどんやさんにしたとか、建設中の赤峯トンネルから広野を抜けぐるっと一回りしたそうな、「動きたいはスイミングに行くとか、体操クラブやないなあ、自分の好奇心、探究心とともにあるんや」と今少年を見て、昔少年が納得している。

 この日は新学期が始まって、数日後で孫の何とは言えない心の揺れ動きがこのじいじとの一日で少し収まった。

 ただ牛若殿、その後「ああ、もう付きあえんわあ、大きなったなあ」と嘆息、実はサイクリングの後は野球にサッカー、その上

寺が池一週というおまけつき、もちろんこの日の夜は早寝で朝までぐっすりの牛若でした。













| - | 10:29 | - | - | pookmark |
心弾む初体験
 

           日々雑感         渡辺範子

  スマートは小型で、ドイツ車らしい実質さが特徴的で夫はおおいに気にいっていた。2代目が改良され600ccが1000ccになり左ハンドルが右ハンドルになって出たときに迷わず一代目を手放し2代目に乗り換えた。

「しまったなあ、一代目は無骨で質実剛健、おもちゃみたいで、あれがよかった」と乗り換えを後悔している。

 私は免許取得以来オートマチックの楽な車しか乗ったことがない。無骨の質実剛健に乗る気は毛頭なかった。

2代目も私から見るとやっぱり難しい、坂道で下がりかけるし、

がたがたにぎやかだし、バックは首を伸ばして後ろを確かめなくては危険だし、道路の状態はそのまま体に伝わるクッション性。

日本製の静かで超親切、前を向いたま画面に映る後ろの風景を見ることができたり、赤色線が車間距離を知らせたりにすっかり慣れた私はスマートには目もくれないでいた。

 そんな私を「ガンちゃん(癌改名)」が後押しした。

一人で軽やかに散歩気分で石見川あたりに行きたいし、大切な

小粒の時間の足代わりにと俄然私のスマート株は揚がった。

 通院の際、練習することにした。初体験は不思議と心弾む。

あれほど便利が上々だった日本製よりスリリングで乗っているというのが実感できて面白い。夫が鼻歌まじりで和歌山までの道中を走っていたのが分かる。 私も「春はスマートに乗って」といきましょう。

 初体験は「ガンちゃん」とともに術後の私の生活を一変させた。

早寝早起き、整体、ラジオ体操、玄米野菜が大好きになった。

野菜は水につけて生き返らせたり、乾燥させたり、蒸したりしてひげ根まで無駄にしなくなった。いとおしいのだ。

あれこれ料理を工夫するのが楽しい。最近のヒットはふきのとう味噌、春のにがみに舌鼓をうっている。

 初体験まさには、化学療法という抗がん剤の点滴だ。副作用

あれこれは、またご紹介するが、投与後1ヶ月頃脱毛が始まるという予測どおり卒園式の前日から始まった。

「それなら尼さんはいかが」とユーモアで励ましてくださる人にも後押しされて、早速美容院へいった。長い間抜けて行くより先回りしてスキンヘッドもいいなあと思った。

アメリカですてきな癌闘病中の女性に会った。スキンヘッドにピンクの可愛い帽子がよく似合っていた。絵を描いて治療中の辛さを乗り越えると言っていた。

 初体験の超ショートカット丸々坊主顛末はこんな風であった。

心地よく迎えられ、カーテンで仕切ったコーナーに座る。

「尼さんのように」とお願いする。免疫力が落ちているので刺激をあたえるのはよくないだろうし、美容院では剃ることは出来ないからと適切なアドバイスがあって、まず刺激のないシャンプーで優しく丁寧に洗ってくださる。気持ちがいい。そして鋏が入る。

全体に短く、なかなか手間のかかることだ。頭のてっぺんがモヒカンの様に立った。「すてき!」思わず声がでてしまった。そのモヒカンも切り揃え、次は櫛を当てながらほんの1、2ミリほどを残し鋏があたる。小さなバリカンも活躍して細かい髪がどんどん床に溜まる。すっきりしてから再びシャンプー、できあがりと相成る。

 鏡に映る私の顔が母に似ていて驚く。よく笑う母だった。

大正生まれ、戦争を乗り越え肝のすわった母の笑顔だった。

被っていった帽子が一回り大きく感じる。ブラウン系のキャップ帽を美容院で買い求めインナー帽子にすると丁度よくなった。さて初丸坊主の寒いこと、帽子は手放せない。

 夫は、だまってそっと撫でてくれた。「おっと、観音様」パンパンと拍手は一寸行き過ぎではあります。

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退職ご挨拶

      ご挨拶            渡辺範子

 35年間の園長職でした。

観心寺保育園とは無認可幼稚園時代を含めて45年近いお付き合いです。20代から今や70代へ突入いたしました。

 「のりこせんせいは、まほうつかいで、170歳」というのが子どもたちの のりこせんせい像でしたが そのうちお母さん方まで、そう言って楽しんでくださるようになりました。

皆様に感謝いたします。魔法力を生かして元気にこれからも保育園を支えていきたいと思っております。

次期園長より「日々雑感」は続けて書くようにと言われましたので、えんだより「やまのこ」でお目にかかります。


さて、次期園長 藤田真澄を紹介いたします。

今、実習にきている菊川さんは教え子です。、「あっ、ますみせんせい」と声をかけられ「うれしい!私、若き日と変わってないのかしら」なんて喜んでおりますが、年齢は秘密、子どもが一人やんちゃな男の子がいます。もうすぐ3年生です。子育て現役です。

観心寺保育園には、12年在籍、障がい児担任をしたことが、なによりの学びになったというのが彼女の口癖です。20年夫の転勤でアメリカに行くことになり退職、母業ひたすらの日々が、一転いたしますが、経験を生かしがんばってくれることと思います。

どうかよろしくご支援ください。

                      平成25年3月1日

               

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卒園の子等
 

 卒園生が会いに来てくれたり、手紙をくれたりする。

一緒に相撲をとった、駆けっこをした、散歩、川遊び、泥んこ遊びよく笑った、泣いた、悩んだ。

子ども世界を私に示し、堪能させ、なお永遠の今を感じさせる

子ども時代を共に過ごした。


先日の講演会の日訪ねてくれたのは、教職を目指すkさん。

「くみなあ、くみなあ、ないたるから!」と宣言してから、天地が割れるような泣き声で「ウワーン!」となる。喧嘩相手も退散した、

まあるい目のおかっぱさんが美しくなっていて驚いた。

 もうひとりは保育士のYさん「かりかりおちゅけものも」のゆりちゃんだ。カレー作りの材料を子どもたちに買いに行かせた時のことだ。思いついて福神漬けを買おうとお店の奥さんに伝えるのだが「かりかりおちゅけもの」でなかなか伝わらず、なんども言いいつづけとうとう目的を果たし、予定外の福神漬けが私たちの口に入ったのだった。

 手紙をくれたのは、二人の子どものお母さんになったTさん。

相撲ごっこの列に何度も並んでいた。抱っこ勝ち、頬づり勝ち、私の勝ち手は、押し出しや寄り切り以外の特別なのがあって、子どもたちが喜んだ。「はっけよいのこった!」を合図に飛び掛かってくるときの、あのこぼれるような笑顔が今も浮かぶ。

 実習のオリエンテーションにやってきたのはYさん。サンタクロースから届いたぬいぐるみにつけた名前はスージーとマドレーヌ大好きな絵本の主人公と同じだった。

黄色くなった古いわら半紙の絵を見せてやった。

「のりこせんせいへ ゆかより」幼い可愛い文字、15年前の彼女がそこにいる。折りたたんだ何枚もの絵は小さな幼児の愛の形で

捨てられず我が家の机の引き出しで眠っていたのだ。

 遅ればせながら開通したメールには、素晴らしブログが届いた。三兄妹が卒園後、ご一家で北海道に移住したKさん一家の今が画面に広がっている。子どもたちは成長しそれぞれの生き方をしっかり見付け世界に飛び出している。自然と同化し知恵のある見事な生き方をなさっている。長男Tくんの木登り。次男Kくんの運動会、高い三角山に登る決心がつくのを皆で見守った。心のこもった長い長い時間がすぎてとうとう登りきったときの満足げな顔が忘れられない。末っ子Hちゃん、北海道転出前の「ほなちゃんのための一人の卒園式」を開いた。

子どもの中の心の時間を大切にしたいと思ってきた。

それを応援してくださる大人社会、それがやまのこ家族だと今も思っている。


 23、24年の2年間、福音館「母の友」園景色に連載させていただいた。「子どもの深さ、広やかさ、人として」をありのまま伝えたいと思って書いた。

出会った子等を通して、 私の心の底を流れる変わらないテーマ「子ども世界に学ぶ」を書いたつもりだが、拙い表現力は目の前で指し示してくれる子どもの表現には程遠い。


 45年前、未熟な母となった私に襲い掛かった試練、3歳の息子の不治の病に戸惑い絶望し揺れ動いた私を救ったのは、二人のわが子だ。遊ぶ二人の満面の笑みは決して無知ゆえの明るさではなく未来を見据え、まさに今を生ききっている命の見事さだと感じた。保育士となり、出会った子どもたちにも力を与えられた。

大人はもっともっと子どもに見とれてほしい。

限りない自然性に目をむけてほしい。



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